読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

僭越ながら【1テーマの本を30冊読んで勉強するブログ】

毎朝3:00からを独学の時間にしています。テーマを決めて本を30冊読んで勉強し、その勉強メモをこのブログに記録しています。自己紹介はサイドバーにあります♪ 2017/3/1から「ミニマリストの本30冊から実践できるコツを書き出し、毎日少しずつ真似してみる!」企画を始めました。 毎日、ミニマリストになるためのコツを、ひとつ実践するのが目標です!

私は絶対死にたい

私は幼稚園の頃から死に怯えていた。


お父さんが死んじゃったらどうしよう。


お母さんが死んじゃったらどうしよう。


おばあちゃんが死んじゃったらどうしよう。


わたしが死んじゃったら、お父さんも、お母さんも、おばあちゃんも、悲しいかな?



思春期になり、余命宣告を受けた人の話を本で読んだ。


若くして、死の一点を見つめながら、思い切り生きた少年の話だ。


「死を覚悟した人間は、誰よりも強い」という話だ。


精神的な弱さを自覚していた思春期。


強くなりたかった私は、その時から、いつか自分も死ぬということを、意識するようになった。


後悔のない人生を送るようにしたいと、思った。


人間関係に悩んでいた思春期。


200年後を想像してみた。


私の事を知っている人はもういないだろう。


私が知っている人ももう誰もいないだろう。


そうか、どうせ、皆死ぬんだ。



そう考えると、今の悩みなんて、どうでもいいと思った。



自分の悩みがちっぽけに感じた。






高校に入ってすぐ、大好きなおばあちゃんが死んだ。


骨を拾った。


おばあちゃんは死ぬ時、幸せな気持ちだったかな、と、泣きながら考えた。


おばあちゃんはいつも、「あんたの、笑顔が、一番かわいい」と言っていた。


これからも、いっぱい笑うようにしよう、と思った。


初めての身近な人の死に、私は初めて、自分はどう死にたいかを考えた。


「楽しい人生だった」と思いながら死にたいなって思った。


だから、毎日を楽しむようにしようと、決めた。


その後すぐ、高校の修学旅行で行った神社で「毎日楽しいと思える人生をおくれますように」と木札に書いた。



大人になり、親が亡くなったという友達も増えてきた。


皆いつか死ぬことを、改めて、思い知った。


親の死は、悲しすぎて、想像もしないようにしていた。


でも、逃げていても、時の経過は待ってくれない、と思い直した。


お父さんとお母さんと、今のうちからたくさん思い出を作ろう。伝えたいことは伝えておこうと、心に決めた。





結婚した。



お盆休みに夫の実家へ行った。


お墓参りをした。


私はこのお墓に入るのか。今までお父さんとお母さんと一緒にお墓参りしてたところじゃなくて。


結婚ってこういうことなんだなと思った。






子供が産まれた。



子供の命の為なら死ねると思った。


同時に、子供の幸せの為に死んじゃいけないと思った。



保険に入ろうとしてファイナンシャルプランナーの方に相談すると、ライフプランニングシートを書くように言われた。


自分と家族の老後までの年表を書き、プランをたてるというものだ。


残りの人生を紙に書き出すと、意外に、あっという間だ。


自分の年齢の下に、親の年齢、夫の年齢、子供の年齢も書く。


自分の年表は最後を何歳にすればいいのかな。


親の年表は、自分のと比べてこんなに短くなっちゃうのか…



現実を直視することに最初は戸惑った。


でも書いた。


後悔しないようにプランをたてた。




2011年、東日本大震災が起きた。


多くの人が突然命を落としたことに、激しいショックを受けた。


人の命は、突然、奪われる危険性をはらんでいる、と知った。






どんな死に方をしたいかと言われれば、
やはり私は、眠るように死にたい。


眠るように意識が遠のいて、死んで行きたい。


ずっと起きているのが辛いように、ずっと生きているのは辛いと思う。


不老不死には絶対なりたくない。


いつか死ねるんだと思えるから、私は今を頑張れている。


昔「ちょっとあの世を見てきます」という遺書を残して自殺した中学生のニュースを見たことがある。


前世とか来世とか、あの世とか、私は存在しないと思う。


死ねば、もう終わり。


人生は一度切り。


死んだら終わり。




だから、私は、夫が死んだらもう会えないことを今から恐れている。


夫と出会ってから、あの世の存在を願うようになった。


夫と出会ってから、来世の存在を願うようになった。


たとえ死んでも、夫とまた会えるのならいい。


心の何処かで、それを願っていて、心の何処かで、それは荒唐無稽の話だと知っている。


だから私は夫と今生きている間に、たくさん話したい。たくさんの時間を一緒に過ごしたい。


友人は、旦那さんを看取ってから死にたいと言う。強いなぁと感心する。


私はそんなに強くない。


夫からのプロポーズの返事は、私より先に死なないで、と言った。


夫は約束してくれた。


残される方が辛いのはわかっている。


私の最大のわがままだ。


でも私は死ぬことよりも、夫のいない世界を生きる方が辛い。


だから私は、いつか絶対に死にたい。


夫よりも先に死にたい。


あの世があるのなら、私は先に行って、夫が来るのを待つ。


我が家は最近引っ越したけれど、今の家を見つけたのは私だ。


夫は今の家を気に入ってくれている。


だから、あの世でも私がいい家を見つけられると思う。


そこで、また一緒に住む。


そう夫に伝えると、それいいねと笑う。


夫は現実的だ。


いつ自分が死んでもいいように、生命保険に入っている。


「俺に何かがあった時はこれを開けて」とファイルケースを渡されている。


そのファイルケースの中の書類を出せば、夫が今稼いでる収入と同じ位のお金をもらえるようになるらしい。


これさえあれば、自分はいつ死んでもいいと言われる。


私は泣く。


そんなの全然嬉しくない。お金があっても夫がいないのなら意味がない。


夫がそうするなら、私も保険にはいる。


でも私はたいした収入がないので、私が死んでも実際は我が家には何の支障もないし、保険に入る意味がない。困るのはお金ではなく子育てと家事だ。


だから、もし私の方が先に早く死んだら、田舎の両親に来てもらい、子育てと家事を手伝ってもらう、ということを決めている。




今3歳と0歳の娘達に、将来頼もうと思っていることがある。


骨壷を夫と一緒にしてほしい。


私が先に死んだら、後から死んだ夫の骨を、一緒に入れてほしい。


そうしたら、ずっと一緒にいれる気がする。


寂しくない。



しかしそんなの現実的には物理的に無理だし仏教的にも意義がないので実行不可能だって、わかってる。

結局、死ぬ時は、人間はひとりだって、わかってる。


どんなに周りに人がいたって、人間はひとりで死ぬ。


眠る時に誰かとおしゃべりを続けたまま夢の世界に入れないように。


死に落ちる時は、完全にひとりだ。


それなら私は、死ぬ直前に見える視界に、夫がいてほしい。


夫の姿を確認して、顔を確認して、その顔がだんだんとぼやけていく中で死ぬのが…


私の理想の死STYLE( ; _ ; )/~~~

[スポンサーリンク]