妥協したことで手に入れたものは、私が今まで知らなかった幸せの境地
人間性の崩壊は持つものを妥協したときから始まる - tapestry こころ・しごと・暮らし
こちらの妥協についてのエントリを読んで、私がこれまで妥協したことは何かと考えました。その結果、出た答えが『家』です。
妥協しても良い事があったという例をお伝えしようと思い、書くことにしました。
私は「今自分は何を大切にしたいのか」を常に考えて行動するようにしています。そして「何かを大切にする為には、何かを妥協しなければならない」というのが私の思想の根幹にあります。
実例を挙げます。
先日引越しをしました。それまで私は会社からも駅からも遠い、交通の便の悪い所に住んでいました。その家は新しくて広いことが気に入っていました。
でも私は「家族と一緒の時間」を大切にしたかった。通勤時間に1時間半もかかっていたので、いくら仕事を早く切り上げても、帰宅が遅くなってしまうのです。平日はほとんど家族団らんの時間をとれない状況でした。
そんな私が新しい引越し先に選んだのは、古くて狭い家でした。新しくて広いことを妥協したのです。
家は古くて狭いのですが、夫と私の会社への通勤時間が短く、駅から徒歩圏内の場所にあります。帰宅が早まるお陰で、家族皆が揃って夕食をとれるようになります。
当初は「通勤時間の短さ」も「新しくて広い」もどちらも妥協せず、全てを手に入れたかった。駅前には建ったばかりの綺麗で広い高級マンションが幾つも立ち並んでいますが、我が家の経済状況ではそのマンションを手に入れることはできません。
結局「家族と過ごす時間」を大切にする為に、「新しくて広い家に住むこと」を妥協する行動に出ました。妥協せざるを得なかったことが悲しかったです。
しかし、引越した今、私と夫は現在の家の暮らしに満足しているのです。妥協してみて手に入れたことは「家族と過ごす時間」だけじゃなかったのです。
古ぼけた部屋を快適にする為に私達はDIYに初めて挑戦しました。自分たちで新しいフローリングを敷いてみたり、剥げかけた塗料を塗り直したのです。自分達で手を加えたことにより、既製品にはない愛着心と居心地の良さが出てきました。また、狭い部屋の収納率を上げる為に、棚をあちこちに取り付け、可愛い布で隠しました。布は娘が選びました。娘は毎日その布を眺め「わたしがえらんだ布、かわいいね」と喜びます。
おそらく新築で広いマンションに住んでいたらDIYをやってみようという思いにも至らなかったし、今では娘との共通の趣味である手芸屋さんへの可愛い布探しもしなかったと思うのです。
確かに、人生は選択の連続であり、その選択を曖昧な態度で臨むと後悔します。選択は真剣に取り組むべきです。もうその選択のチャンスは二度と訪れないかもしれませんから。
しかし、曖昧な態度で選択することと、妥協することは違うと思うのです。
私がもし家に対して「新しくて広い」を妥協しなかったら。「駅近」と「新しくて広い」を両立させる家を手に入れることは経済的理由で難しいからと、引越す選択を潔く諦めていたら。恐らく、以前の遠くて新しいマンションに住み続けていたでしょう。そうだとすれば、私が大切にしている家族との時間は短いままだったし、DIYの楽しさにも気づけなかった。
引越しをする前、妥協せざるを得ない自分の状況が悲しかったのは事実です。でも、妥協することで手に入れたものは、私が今まで知らなかった幸せの境地でした。
妥協...
対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること。
(デジタル大辞泉より)
妥協っていい意味なんですね。何故か悪い意味だと思っていました。「自分の希望を諦めて、その後悔の念を抱えたまま進むこと」というような意味だと思っていました。
双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決することができる。それは私が目指す成熟した人間の姿だと言えます。
妥協を知ることが、人として成熟すること、なのかもしれません。
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追記1(本記事を書いて、疑問に思ったこと):
私の思想の中で矛盾が生じました - 僭越ながら【1テーマの本を30冊読んで勉強するブログ】
追記2(私の結論):
「妥協を許す」と「持ち物に拘る」は矛盾するのか - 僭越ながら【1テーマの本を30冊読んで勉強するブログ】